伊能忠敬の日本地図作り_H11_寅年

毎度お馴染み畑の管理人ニンジン🥕です

 

人財って大事ですよね。最後までやってくれる人、よくしてくれる人、売ってくれる人、そんな大きな仲間として同じ夢を持って協力してもらって進めることって、一人で黙々と勉強したり、凄い綺麗でまとまった未来予想図の計画を作ったりするよりも大変なんですよね。

 

でも、綺麗な計画を作ることに拘ったり、技術の習得を優先したり、のらりくらりするのって俯瞰的に物事見れなくなっちゃってるんですよね。販路を作ることって、異業種が新事業考える時に、とっても大事な要素だって突きつけられましたね。技術に値段はなかなかつけられないですからね。ベンチャーだって何もないところとは、お金もらっても組みたくないだろうし、ましてや身売りしてでも一緒にやりたいと思ってくれないんですよねー。

 

そんな中、前段長くなりましたが、伊能忠敬さんの経歴と懺悔が書かれていました。

50歳の時(今の定年65歳ぐらいの感覚)に自分でやっていた酒屋さんを引き継いで、1人、凄い年下の師匠に弟子入りし、天文学を学び、その後、20年かけて精密な日本地図を作成しました。本当は世界地図を作りたかったみたいですがね。歩いた距離は地球一周分くらいだそうです。コツコツと好きだったので続けられ、やり遂げることができたのですね。そして長生きですよね。同時にしては!やることあると、イキイキしてますもんね!逆境にぶつかると元気になるのは学びたいところです!(普通はへこたれますからね)

 

次に懺悔もあるようです。

余りに正確な日本地図すぎて、幕府が軍事的に不味いから、これ外に漏らしちゃダメとした矢先に、シーボルトさんって言う海外からの商館医に、師匠の息子さんだかがコピーを渡しちゃっていてそれがバレて、死刑にされちゃったらしいです。1828年ごろのお話です。伊能忠敬はその時には死んじゃってたらしいですけどね。自分の作った地図で人が死んでしまうのは悲しい事だったと思います。

 

まとめますと、

■好きなことやってると長生きできそうです

■偉業は結構、自分勝手な信念で進むので、出来上がったもので、その後どうなるかまでは考えていません

■本人にとって、周りの人にとって、不幸もあれば幸もありです

■決して諦めないことです

 

実は私の行っているラボも四苦八苦中です。

前半期で締めるような話が先週あり、その後、お偉いさん方々に大先輩と直訴して、新しい形での新体制となりそうです。今月中にアングラテーマも含め優先順位をつけないといけません。ホールディングス化するタイミングで売り上げないですが、社内カーブアウトを目論んでいましたが、そっちに持っていかられないかと考えています。

船頭多くして船沈むことのないように、異分野の少数精鋭で夢を持って、諦めずに進め、成果も出していきたいですね!

 

今日から小学校も始業式です。

ファンファーレを頭の中で鳴らしながら、ゴーゴーです‼️

 

エンジョイ😎